1981-04-03 第94回国会 衆議院 運輸委員会 第7号
もうぼつぼつ時間が来たようでありますが、この間、大臣はおいでになりませんでしたけれども、私ども運輸委員会として横浜埠頭に行ってまいりまして、いろいろ勉強さしてもらいました。確かにコンテナというものは大変だという感じを深くしました。ところが、私ども車で参ったわけでありますが、あれは道路になるのか港湾用地になるのか知りませんが、要するに車がどんどん走っておる。
もうぼつぼつ時間が来たようでありますが、この間、大臣はおいでになりませんでしたけれども、私ども運輸委員会として横浜埠頭に行ってまいりまして、いろいろ勉強さしてもらいました。確かにコンテナというものは大変だという感じを深くしました。ところが、私ども車で参ったわけでありますが、あれは道路になるのか港湾用地になるのか知りませんが、要するに車がどんどん走っておる。
火災、破裂、爆発という、爆発には至らなかったわけですが、港湾労災防止協会横浜支部から船主にあてたもの、外船協会にあてたもの等をちょっと拝見をいたしますと、五十二年十月八日ですが、横浜埠頭におけるカルシウムカーバイドが平常荷役にかかわらず破裂する事故が発生いたしました、こう実は報告をいたして、それぞれの業界に要請をいたしているわけでございます。
○辻説明員 ただいまの横浜埠頭における事故の問題につきましては、実は私ども、先ほど海上保安庁から答弁いたしましたように、報告を受けておりませんので、実は、昨日先生の御指摘によってお伺いしたところが初めてでございますので、原因については、私どもどういう原因であったか承知はしておりません。
ただ、どうしてもいかぬという場合には、これはまたほかの港あるいはほかの輸送方法等も考えなくちゃいけないのでありますが、いまのところは、安全性について十分解明して、そして横浜埠頭あるいはその周辺の道路の混んでない道を選んで使わせてもらうように交渉したいと思っております。
○柏原ヤス君 去年、横浜埠頭の倉庫にペストノミを持ったネズミが大量に発生したということですが、このことは、厚生省は事実を御存じなんでしょうか。
これは将来は東京側につきましては大井埠頭、それから横浜埠頭につきましては本牧埠頭、これは外国航路埠頭になっておりますので、これはおそらく両方とも使うことになろうと思いますが、さしあたってはどっちか、品川なら品川に臨時にいまある埠頭を、来年からスタートするとしますと、使わざるを得ないことになるわけでございます。それらの点はまだ最終的にきまっておりません。
いろいろの点で手厚い努力をやっておるにかかわらず、海外に対しては非常にその点が行き届いていないような気がするものですから申し上げるわけですが、なお、もう時間がございませんからくどいことは言いませんが、横浜埠頭における移民の出ていく情景を見ますると、非常に、これは言葉で表わせないような気がいたします。食費はわずかに五十円、一日五十円の食費で、壮行会もやらない。
それじゃ四分の一にならないなということも考えられるのですが、いわゆる無水フタール酸や無水マレイン酸のような鉱工業薬品というものは、わずか二年前、三年前は、横浜埠頭揚げ二分の一以下であったわけでございますが、今日は自由化をされました。されることによって企業の合理化も行ない、また張り込み方も違うわけです。
これが横浜埠頭にうずたかく積まれて引き取り手がなかったという事実もありますし、これをサンフランシスコの埠頭に持っていったとき、二ヵ月間も格納してもらえなかったという状況が現実にあるのでありますし、日本は当時手持ち外貨はほとんどゼロに近いような状態でもあり、敵産として海外にあった財産は銀行に押えられておった当時から考えますと、いろんな議論の存するところでありますが、結果的には、アメリカが駐留をして、貿易
しかるに、本年六月に入るや、フランスが突如大減刑を断行して、ほとんど全員を釈放したのに続いて、このたび比島は、キリノ大統領の大英断によつて、モンテインルパに服役しておられた百八名全員の内地送還、しかも、同時に、死刑から終身刑に減刑となつた五十六名の巣鴨移管を除き、他の全員に対して赦免の措置がとられ、去る七月二十二日朝、横浜埠頭に、これらの方々全員のほか、痛ましくも異境の丘に散つた刑死者の御遺骨十七柱
委員長は、衆議院外務委員会を代表いたしまして、今日午前八時横浜埠頭岸壁に横づけされました白山丸を出迎え、フィリピンより帰還された霊に対し礼拝をし、また今般巣鴨に移られました諸君並びに釈放された諸君に対しまして、それぞれごあいさつをいたしておきました。この段御報告を申し上げます。
本日の議事に入ります前に御報告申上げまするが、委員会散会後、横浜埠頭に碇泊中の白山丸を視察することになつておりまするから、どうぞ御参加を願いたいと存じます。
しかるに、この重大なる主食問題が、たまたま来朝したドツジ氏の横浜埠頭における一声をもつて驚き、その後二回の会談をを経て、再度三閣僚が、何らの成案を持たずして会見三十分、簡單に引下つた印象は、国民にいかにこれが映じたでありましようか。(拍手)ドツジ氏の反対にあつて断念したかのごとき印象を国民に與え、その間の経過をうやむやにしておることは、日本の自主性いずこにありやといわなければなりません。
それで建つ前に相当われわれとしても反対いたしましたし、また大蔵省の当時の国有財産部——現在の管財局でございますが——あたりからも局長がおいでになつて、海運局といろいろ折衝を願いまして、簡單な仮建築の上屋ならばともかくとして、永久的なものは建てないようにというお話があつたのでありますが、その話があつたときは、すでに海運局と横浜埠頭株式会社との間に、一時使用の契約が締結されておつたという話で、その後そういう